〜 武相荘(旧白洲邸)を訪ねて 〜




                       〜白洲正子の言葉〜

 日本の文化は、たとえば和歌にしても、
 仏像や屏風絵にしても、利休の茶碗だって、
 “用と美”とから生まれた。
 決して現代のように、「功利」が「美」に先行していなかった。
 いい換えれば、形や意匠の美しさは
 作者のふだんからの想いや姿勢と一致していたのである。

 毎月のように取材に出るが、肝心の目的よりわき道へそれる方がおもしろくて…。
 お能には橋掛かり、歌舞伎にも花道があるように、とかく人生は結果より、
 そこへ行きつくまでの道中の方に魅力があるようだ。

 本当に国際的というのは、自分の国を、或いは自分自身を知ることであり、
 外国語が巧くなることでも、外人の真似をすることでもないのである。

 暖めれば、のびるし、傷つければ、しぼむ。
 人間も植物のように、それほど強いものではない。

 人は盗むことによってしか成長しないものである。

 わかるなんてやさしいことだ。むずかしいのはすることだ。
 やってみせてごらん。美しいものを作ってみな。

 人間は誰でも自分で出来上がった様な顔をしているけれど、
 環境と言うものにどれ程支配されたか解らないものである。
 問題はそれをどうこなすかという事にある。
 生活に支配されるか、または生活を支配するか。

 茶道とは、ひと口にいえば「生活」全般にわたる心構えで、
 この混沌とした人間社会に、いかにして秩序を与え、
 いかにして美しく、たのしく過ごせるかという公案を課すことにほかならない。

 日本人ほど文化文化とわめきながら、
 文化を大切にしない国民はいない。
 それは自分自身を大切にしないことに通ずる。



                       〜白洲次郎の言葉〜

 われわれは戦争に負けたのであって、奴隷になったのではない。

 私は“戦後”というものは一寸やそっとで消失するものだとは思わない。
 我々が現在声高らかに唱えている新憲法もデモクラシーも、
 我々のほんとの自分のものになっているとは思わない。
 それが本当に心の底から自分のものになった時において、
 はじめて“戦後”は終わったと自己満足してもよかろう。

 税金がふえて、我々の生活が今よりぐっと苦しくなっても、
 なお外国の軍隊を国内に駐留させるよりもいいというのが
 国民の総意ならば、安保など解消すべし。

 人に好かれようと思って仕事をするな。
 むしろ半分の人には嫌われるように積極的に努力しないと良い仕事は出来ない。

 地位が上がれば役得ではなく“役損”と言うものがあるんだよ。

 今の日本の若い人に一番足りないのは勇気だ。
 「そういう事を言ったら損する」って事ばかり考えている。

 今の政治家は交通巡査だ。目の前に来た車をさばいているだけだ。
 それだけで警視総監にはなりたがる。政治家も財界のお偉方も志がない。
 立場で手に入れただけの権力を自分の能力だと勘違いしている奴が多い。

 米将校に「英語が上手いですね。」と言われて、
 「貴方ももう少し勉強すれば上手くなるよ。」と皮肉った。

 精神主義一辺倒では、なにも解決しない。

 我々の時代に、戦争をして元も子もなくした責任をもっと痛烈に感じようではないか。
 日本の経済は根本的な立て直しを要求しているのだと思う。

 「右利きです。でも夜は左。」
 (入院した病院で看護師さんに「右利きですか?左利きですか?」と尋ねられて。

 「一緒にいないことだよ」
 (晩年、夫婦円満でいる秘訣は何かと尋ねられて。)

 大事なことを知ろう思ったら、ぎょうさん時間かかりますよ。

 「葬式無用 戒名不要」(遺言)

気まぐれ/ぶらりシリーズ